★狸のしっぽ★ (日本編) 2009年、2010年


NO.6 2009.2.27  <明るい言葉を語ろうよ>

「言葉にはエネルギーがあって、言ったことが実現するように働く。」
ということを頭では理解していても、現実の生活の中で、そのことを充分活用
できていませんでした。

たとえば、体調が悪い時など、つい、「頭が重いな。疲れたな。」と、言葉に
出していました。
テレビなどで暗いニュースを見聞きするたびに、「ひどいね。かわいそうだな。
なんて悪いやつなんだろうね。」「これからどうなるのか心配だね。悪くなっ
てゆきそうだね。」と、言葉に出していました。
不平、不満、非難、批判、不安、恐れ、そういう感情を含んだ言葉を当たり前
のように口に出していました。

マイナスの状態を、マイナスだねと肯定してしまうと、そこにエネルギーをそ
そぎ、その状況をさらに引き寄せてしまうことにたいして、無自覚でした。
それに人とのつきあいもあるし。そういうことを言わないと会話がうまく流れ
ないし。と、今までは思っていました。
でも今年からは、私はマイナスの言葉を語らないようにしようと決めました。

そうは言っても、それはなかなか難しいことです。今までの習慣やクセで、つ
い言ってしまいます。一人で頑張ろうと思っても、なかなかうまくいきません。

「もう、不満は言わない」ウィル・ボウエン(サンマーク出版)という本では、
牧師である著者が、紫色のブレスレットを配って、「自分が不平不満を口にし
ていることに気づいたら、ブレスレットをもう一方の手にはめ換える」という
ことすすめています。それを実践することによって、自分の発する言葉を意識
するようになり、やがて不平不満を口にしなくなるということです。
これも素晴らしいアイデアだと思いました。

私の場合は、いつも一緒に祈っている仲間と一緒に、この牧師さんとは少し違
うやり方で、マイナスの言葉を発しない実践に取り組んでいます。
マイナスの言葉を口にしたことに気づいたら、それと反対の明るい言葉を口に
するのです。
たとえば、「疲れたなぁ」と言った時は、「無限なるエネルギー」「ひどい人」
には「無限なるゆるし」「無理だ。できない。難しい」と言った時は、「無限
なる可能性」「無限なる能力」と言ったりするのです。
このやり方だと、マイナスの言葉の波動に対して、それと逆の波動を発するこ
とで、マイナスの波動を消すことができるのです。

マイナスの言葉を口にする回数をへらしてゆくことが目標ですが、一ヶ月ほど
この実践をやり続けるなかで、色々の気づきがありました。
私は、人と話しをする時だけでなく、独り言で、マイナスの言葉を無意識に言
ってしまうことに気づきました。
それは、頭のなかで過去にあったマイナスの出来事などを思い出している時に、
「いやだなあ」「だめだなあ」と、ついぽろりと口から出てしまうのです。
さらに、何も考えていないのに無意識に言ってしまっている時もありました。

マイナスの言葉が発せられる奥には、マイナスの感情想念があるのです。
それならば、発した言葉を手がかりに、その奥にある自分の心に気づき、そこ
に光を当ててゆこうと私は思いました。

ウィル・ボウエンは、「不平不満とは、悲しみや苦痛や満たされない思いを表
現すること。」と書いています。そして、悲しい時、自分がだめと思える時に
「いいんだ。このまま感じたとおりに感じていればいい。こう感じている自分
はこれでいい。」と、あるがままの自分を受け入れています。

大切なことは、自分が感じていることを無視したり、押さえつけて、マイナス
の言葉を発しないようにすることではなく、まず自分がどれだけマイナスの言
葉を発していたかに気づくこと。そして、その言葉が発せられる原因として、
自分の心の中に色々なマイナスの思いがあることに気づくことです。
そして、そんなマイナスの感情を持った自分を責めることなく、あるがままの
自分を受け入れ、自分の感情を感じるという段階を経て、だんだん、マイナス
の言葉を語らないようになっていくということなのです。

私達の心の中には、多かれ少なかれ、自分を認めて欲しいという思いがありま
す。そしてそれが原因でマイナスの言動をとってしまうことがあります。
このことに気づき、自分が自分を認め、尊重するという作業を続けることを、
私はこれからも続けてゆこうと思います。

自分の感情を良い悪いと区別しないことも大切です。
悲しみや不安を、感じたくないために、抑圧しても、そのエネルギーはなくな
らず、病気やトラブルを起したりするのです。
感情は、感じれば解放されるのです。
たとえば、ノートに思いのたけを書き綴る、泣きたい時はなく。寂しい時は寂
しがっている自分にやさしくしてあげる。自分が喜びや幸せを感じることを、
自分にしてあげる。
私はそんなことをやりながら、自分の心の奥にあるわだかまりをあたため、と
かしてゆこうと思います。

そして、こういう作業を続けながら、マイナスの言葉を口にせず、明るい言葉
を発することで、私はどんどん幸せになってゆこうと思います。

ということで、毎朝起きた時に、「今日も一日、明るい言葉だけを語ります。」
と、宣言をしています。そして先取りして明るい言葉を言うようにしています。

今の私の口ぐせは、「絶対大丈夫。すべてうまくゆく。」です。
そしてこの言葉にメロディーをつけて、歌っています。
効果満点です。

こんな私は、幸せ者です。ふふふ。

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先回、京都に行った仲間で集まった時、誰からともなく今年は「英語脳」を
つくることにチャレンジしようということになりました。

それで、色々な本を探して読んでいるうちに、「英語は簡単な言葉だ。だから
世界中で使われているんだ。」と、気づきました。それを難しくしていたのは、
英語の仕組みに気づかず、日本語の発想で英語をとらえたからだということに
も気づきました。
日本語は繊細で難しい。それを話せる日本人は優秀だ。ということも再認識し
ました。

それだけのことで、英語の勉強は進んでいませんし、話せるようになったわけ
でもありませんが、なんとなく、心が大らかになりました。それでよしです。


NO.7 2009.6.6  <ハーモニー太極拳>

タイのバンコクから日本に帰国して、一年と一ヶ月になります。
そして今、私は、これまでの体験を生かして、新たな一歩を踏み出しました。
体をリラックスさせて、体の中で起こっていることに気づきながら、ストレッ
チと気功と太極拳を、実践してゆく場をスタートさせたのです。

私は、心と体を癒し、声を育て、身体感覚を磨くために、野口整体、フェルデ
ンクライスメソッド等を、学んできました。さらに、バンコクでは簡化24式
太極拳等を学びました。そして、リラックスしたしなやかな体を実現するため
の、色々な方法を少しずつ身につけてきました。

私はバンコクに行く前から、「気功」を学んでいましたが、その基本となる、
リラックスして立つということが、なかなかうまくできませんでした。
その後、フェルデンクライスのレッスンを受けることで、私は体に関する気づ
きを深め、上虚下実の自然体で立つことができるようになりました。
もちろん、それがずっと持続するわけでなく、またいつもの体に戻るのですが、
色々な体操を実践してきたことで、体が少しずつ変わってきました。

バンコクで、私にフェルデンクライスメソッドを教えてくださった村井さん
(ニックネームはコンラッドさん)は、フェルデンクライスは寝てやる太極拳、
と言われ、その言葉が印象に残りました。
そして、フェルデンクライスメソッドで学んだこと(ゆっくり動くことで、今
ここの体の状態に気づくこと)を太極拳に生かしていったことで、私は、しな
やかで美しい太極拳の動きを実現するには、どうすればいいのかということを、
自分の体を通して、理解できるようになったのです。

今回、縁あって、営利目的でなければ、20人程で行なうことのできるレッス
ンルームを借りることができるようになり、とりあえず月に二回、そこでレッ
スンを始めることにしたのです。
「ハーモニー太極拳」と名づけたのは、しなやかで調和のとれた、心と体を育
ててゆくことを目差しているからです。そしてそのために必要なレッスンをこ
つこつ続けてゆくことで、太極拳も上達してゆくと思います。

ということで、「ハーモニー太極拳」のメニューを紹介します。

まず、始めに、体を三つの動きによってほぐしてゆくことを、「ニューストレ
ッチ」などによってやってゆきます。

私はバンコクで、「身体革命」伊藤昇著(BABジャパン)という本を読んで、
心が動きました。
丸める反る、捻る、伸ばす縮める、この三つの動きによって、胴体をほぐして
ゆくことで、体のしなやかさを取り戻し、効率のよい動きのできる体を育てて
ゆくという考えは、とても理にかなった素晴らしいものだと思いました。

「ニューストレッチ」とは、東京でフェルデンクライスメソッドを教えている
村井さん達のグループ(からごだコロ)の北洞さんが、フェルデンクライスの
動きなどをもとに考案されたもので、簡単で効率のよい体操です。
(ユーチューブで紹介されているので、誰でも見ることができます)
ニューストレッチでは、独自な動きの中に、胴体をほぐしてゆく三つの動きが
組み込まれているので、今まで使っていなかった筋肉がほぐれ、体の柔軟性を
とりもどしてゆくのに効果があります。
今回は、いくつかある「ニューストレッチ」の中から、股関節をほぐす、前屈、
開脚、ふくらはぎをゆるめる、を行ないます。

それから、イチロー選手がやっている、四股立ちで肩をいれてゆくというのを
行なって、下半身の土台を育ててゆきます。

次に、以前昼のテレビでやっていた「後ろうで組みストレッチ」をやります。
これは足をそろえて立って、組みずらいほうで後ろ腕組みをして、体を曲げた
り、ねじったりするのですが、このとき、バランスをとるために、骨盤低筋や
お腹をしめることになります。これはピラティスなどで求められるコアの筋肉
を鍛えるための体の使い方に似ていると思いました。
それを、下半身をひきしめながら、上半身はゆるめてやります。

次に、胸を広げ、呼吸を深くするために、「胸骨体操」をやります。
これは、以前、井本整体を学んでいらしたKさんに教えていただいたもので、
手の指を曲げて、組み合わせてから、頭の後ろにまわして、胸を開き、肩甲骨
を寄せるようにして、体を左右に曲げるという動きを行ないます。
これだけでも効果がありますが、私はさらに、手を後ろで組んで横にねじると
いう「横隔膜のツイスト」の体操もやっています。
これらの動きによって、肋骨を引き上げ、腹腔をひろげ、わき腹、横隔膜をゆ
るめることになり、深い息が入ってくるようになります。
もちろん、ニューストレッチの動きの中にもこうした動きが入っているのです
が、ここでは、胸を広げゆったりとした呼吸を実現するというテーマを意識し
て行い、この部分だけ取り出して実践できるように、わかりやすくしています。
さらに、みぞおちを押さえて、邪気を吐ききる呼吸を行い、みぞおちをゆるめ
ていきます。この時、体の中にたまっている、さまざまなマイナスの想念を、
吐き出してゆくことをイメージし、心の中がすっきり、広々とする感じを味わ
います。

最後に、ゆっくりと首をほぐします。
この運動も、首を前後、左右、斜めに曲げてから、左右に一回転させるという
だけのものですが、通常とは違う、かなりゆっくりとしたスピードで行なうこ
とで、首の中の深い部分の筋肉がゆるめられるので、効果が違ってきます。
首に関しては、私自身がずっとトラブルをかかえてきていた部位であり、多く
の人にとっても、首や肩のこりは、なんとかゆるめたいところなのではと、思
います。
首と体に関することでは、最近、友達からすすめられた本を読んで、そういう
ことだったのかと、理解を深めたことがあります。
その本は「慢性疲労は首で治せる!」松井孝嘉(角川書店)という本で、原因
不明の病気は、実は「頸性神経筋症候群」であった。という指摘に私は、納得
しました。
首の筋肉のこりによって、首を通っている神経が圧迫され、脳からの情報伝達
がうまくゆかなくて、たとえば、自律神経失調症などを、起すということです。
ということで、今私は、意識して首をゆるめることを実践しています。

太極拳を始める前のこうした準備体操は、私自身が、自分の体のために、学び
実践してきたことの、集大成のようなものです。もちろん、他の体操もありま
すし、これからも工夫してより簡単で効果的なものを取り入れてゆこうと思っ
ています。
これらの体操は、あらゆることを行なう時、日常生活をより快適な体で過ごす
ためにも、役にたつと思います。

この体ほぐしの次に、少し「気功」をやります。
体の内側から、何かが満ちてくるというイメージを持って、ゆっくりと、手を
上下したり、広げたりしてから、静かに立つということを行います。
私は、「気功」を長年実践してきましたが、始めは何も感じませんでした。
それでも、少しずつ手が感応するようになり、空気の弾力のような「気」を感
じられるようになってきました。
そしてその後、私は動く気功として太極拳を学んできたのです。

それから、太極拳の歩形で、歩く練習をていねいに、しっかりやります。
頭を上下させないで歩くためには、股関節のところで捻ることが必要です。さ
らに、左右の足に体重を移動させてゆく時に、体に歪みがあると、安定する足
とそうでない足との違いがでてきます。その時、意識して捻る角度を調整する
ことで、左右の足に乗る時のバランスがとれてきます。
こういう体の使い方に気づくために、私はゆっくりと動きながら、自分の体の
どこがどう動いているのかを観察するということを、じっくり時間をかけてや
ってきたのです。(左右で差があった場合、上手く動くほうを観察して、それ
を真似するように反対側も動かしてゆくということなど、体を通した学び方を
教えてくれたのが、不フェルデンクライスメソッドです。)

それから、手の型だけを少しやってから、太極拳の型を一つずつ、分解して、
わかりやすいようにしてやってゆきます。
私は「朝の太極拳」真北斐図(実業之日本社)という本をテキストとして、み
なさんにも買っていただき、この本を読み、DVDを見て、自習してもらうこ
とにしています。

私は自分にできる限りのことをやってゆこうと思っていますが、ここから先は、
学ぶ人次第です。地道にこつこつ、体ほぐしや、歩く練習をしていただければ、
色々と良い効果が現われると思います。

ということで、教えることは、最大の学びです。
人に伝えようと決めてから、私自身が、まさに、地道にこつこつ練習をするよ
うになりました。
そして中国人の先生のビデオを見たりして、動きの研究をしています。

ご希望とあれば、いつでも、演舞いたします。なーんてね。ふふふ。
(太極拳は武術でもあるので、本当は演武というのですが、私は、ハーモニー
を、目差しているので、あえて、舞うとしました。)

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運動が苦手だった私が、人に太極拳を教えるようになるなんて!それに、私は、
体力が衰えていて、お昼ねたっぷりで、休み休み生活している状態なのにね。

でもまさに、なんとかしたい体の不調があったからこそ、私は多くのことを学
び、それを人に伝えることができるようになったのだと思います。
そしてこれからも、体に現われている不調和を改善するための気づきと学びの
自己探求を続けてゆこうと思います。

私は、人間の体は素晴らしい。無限の可能性を秘めていると信じています。
病気や体力の衰えとは別に、育ち、磨かれてゆくものがあるのです。

そして、ふりかえってみれば、体調にかかわらず、自分にとって必要なこと、
どうしてもやろうと決めたことは、みんな実現してきたのです。

「絶対大丈夫すべてうまくゆく」明るく楽天的にやってゆこうっと。ふふふ。


NO.8 2009.12.3  <楽しい 紙芝居 >

紙芝居の自主サークル「ころころ座」の活動を始めて、一年半になりました。
去年の9月から、地域の子育て広場で0才から3才の子供を対象に活動を行な
ってきましたが、参加してくれる親子も増えて、ますます楽しくなっています。
まだ言葉もわからなくて、退屈すればくずついて出て行ってしまう幼い人達も
居る中で、30分の公演時間を、楽しんでもらえるために、色々考えたことが
良かったです。

「ころころ座」では、軍手で作った動物の指人形を森の合唱団として登場させ、
まず「ころころ座」のテーマソングの始まりの歌を歌います。
そして、紙芝居を二つ演じてから、手遊びをします。それからまた二つ紙芝居
を演じます。それから、季節にあった歌を二曲歌います。
この時登場するのが「歌の好きなころ太君(狸の人形を私が手にはめてころ太
になります)」と、森の合唱団です。そして、お母さん達も一緒に、楽しく歌
を歌います。
最後に「♪今日はこれでお別れだけど、きっとまた会おうね。ありがとう♪」
と、終わりの歌を歌います。

紙芝居を演じながら、子供達に声をかけたり、美味しそうな食べ物がでてくる
紙芝居では、子供達にもまねごとで、ケーキなどを切り分けてあげて、一緒に
食べたりします。
お母さんと子供達に参加してもらって楽しい時間を過ごすことを、私達が一番
楽しみながら、精一杯やってきました。

私たちは、好きな紙芝居を持ち寄って演じあう時間が楽しみで、そんな時は、
民話や、落語に題材をとったものなどをやりました。そして、幼い人だけでな
く、もっと他の人達にも見てもらいたいと思うようになりました。

ということで、先日、地域の老人ホームのデイサービスに来ている50人程の
方を対象とした活動をスタートさせました。
いつものように、「ころころ座」の歌ではじまり、紙芝居と手遊びと歌という
組み合わせで行ないましたが、色々と改善が必要なことに気づかされました。

紙芝居が小さくて後ろのほうは見えにくく、午後の2時前後の時間帯なので途
中で寝ている方もいらしたのです。
それでも、手遊びと歌(もみじと、りんごのひとりごとを歌いました)の時は、
みんな楽しそうに参加してくださっていたのです。
次回からは、紙芝居を減らして、一緒に歌う時間を増やしたほうが、より多く
の人に楽しんでもらえそうな気がしました。

なにはともあれ、「紙芝居ころころ座」の活動は、私にとって、今までやって
きたことが、すべて役に立って生かされる活動なので、楽しくてやりがいがあ
るのです。
私は自作の歌を上手に歌えるようになるために、コーラスをやったり、響きの
いい声を育てるために、体をリラックスさせることを学んできたのでした。
そして今、人の心に伝わる声の出し方や話し方を仲間と一緒に学んでいます。

本当のところ言葉で伝わるものはほんのわずかで、声の調子や表情や仕草によ
って伝わるもののほうが多いのです。
それは言葉がなくても(わからなくても)伝えたいものを伝えてゆけるという
ことでもあります。
そして今私が伝えたいことは、「楽しさ」です。ほんの少しでも「楽しいな」
と感じる時間を縁あって出会った人達と一緒に過ごせたらいいなと思います。

そして私は、小学校での読み語りのグループにも参加しているので、月に一回、
紙芝居の舞台を持って出かけていきます。
学年によって演じるものを考えるのですが、6年生の時は、これで最後だから
という思いがよぎります。
去年は「かりゆしの海」を演じました。写真を使った紙芝居で、沖縄の美しい
海を守ってゆきたいというようなメッセージが込められた紙芝居でした。
今年は、笑えるのがいいと思って、落語を題材とした「とまがしま」を演じま
した。この話のオチは、わかりにくいかなとも思いましたが、田島征三さんの
力強いユーモラスな絵に助けられて楽しんでもらえたような気がします。

紙芝居がきっかけで、赤ちゃんからお年寄りまで、出会ってゆく人達が増えて
ゆくのは嬉しいことです。そして、紙芝居を見てくださる人達がいるおかげで、
成長し、楽しい時間を過ごせることに感謝しています。

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あっという間に一年が過ぎてゆきます。

今年一年を振り返って嬉しかったことは、娘の成長をしみじみ感じたことです。
今までは、私が守らなくてはと思ったり、勝手に心配したり不安になったりし
ていましたが、娘は娘なりの人生を、自分の可能性を信じて、生きてゆくのだ
と思えるようになりました。

それは、私自身が育ってきたということでもあると思います。

11月から、毎月一回、岡部明美さんの「カウンセラー&セラピスト養成講座」
に参加することにしました。
自分を知る旅を15年ほど続けてきましたが、自分一人では気づけないことな
どを学びたいと思っています。
そして、自分に何ができるのか、自分は何をやりたいのかを明確にして、今や
っている色々なことを、もっと深めたり発展させたいと思っています。
これから自分がどんな風に変わってゆくのか、楽しみです。ふふふ。


NO.9 2010.4.15 <天使の子守歌>

色とりどりに咲く花達の美しさに、心がやわらぎ、楽しくなる、春の日です。
新しいいのちが育ってゆく時に発散するエネルギーが、私達の心に夢や希望
を与えてくれます。

もうすぐ私の誕生日。今年は節目の年になるので、生まれ変わった気持ちで、
自分を生きようと思っています。

赤ちゃんの時、人は無限の可能性を持っていました。何も怖れず、自分のい
のちの、求めるままに、興味のあるものに手を伸ばしてゆきました。そして
信じられないほどの絶妙なバランスの実現によって、自分の力で立ち上がり、
一歩踏み出し、歩きだしたのです。
赤ちゃんの時に私達が持っていた「いのちの力」を、そのまま健やかに表現
しながら育ってこれたら、私達はどれほど自由で、自分の可能性や能力を生
き生きと発揮して、生きてこられたことでしょう。

残念ながら、私達は、育ってくる過程で、親や周囲の大人達によって、私達
の可能性を否定する言葉を聞かされ続け、こうあるべきという常識や価値観
を押し付けられ、大人達が築いてきた社会にとって都合のよい人間になるよ
うな情報を入力され続けてきたのです。それによって、私達の心と体は、傷
つき、閉ざされ、自由を失っていったのです。
そしてその結果が、今社会で起こっているさまざまな問題となって現われて
いるのだと思います。

「このままではいけない。」と思った私は、すべての答えは自分の中にある。
まず私が自分を知り、私が赤ちゃんの時に持っていた力を、取り戻してゆこ
うと思いました。それは、私自身のためでもあり、これから未来を築いてゆ
く子供達のためにもなると、私は思いました。

ということで、私が、自分を知ってゆく旅を始めてから15年ほどになります。
まだまだ発展途上の私ですが、私が今まで、自分にできる精一杯で取り組み、
体験してきたことは、私と同じ思いを持っている人達の参考になり、お役に
立てるのではないかと思います。
それらを、出来る限り、縁ある人達に伝えてゆこうと、私は思っています。

その始めの一歩として、私は一枚のCD「天使の子守歌」を作りました。

愛しいはずの我が子を、無意識無自覚に発する言葉で、傷つけたり、抑圧し
たことを悔やみ、自分を責めていた私。自分もまた、母の言葉により心を傷
つけられ、閉ざしていたことを知って、激しい怒りを感じていた私。
そういう状態をくぐりぬけ、こんな悲しみの連鎖を断ち切ってゆけますよう
にと祈り続けた日々。
その時、天からの授かりもののように与えられた歌がありました。
それは、今から10年ほど前のことです。
そして、私はその歌を歌うために、自分の心と声を育て続けてきました。

随分時間がかかりましたが、今はこれが私にとっての精一杯。みんなにもに
聴いてもらいたい。と、思える作品ができました。

子供を育ててゆく時に、不安になることがあると思います。母になって我が子
を抱いている人の心の中に、まだ幼い子供が住んで居たりします。
「天使の子守歌」は、今生まれた赤ちゃんだけでなく、そういうすべての人達
の心の中の赤ちゃんにも、聴いてほしい歌です。
子供を抱いているお母さんを、やさしくあたたかく包みこんであげたい。
大丈夫だよと、励ましてあげたい。そしていのちそのものの赤ちゃんを祝福し
てあげたい。そういう思い、祈りを込めて歌いました。

このCDには、もう一曲「つながれいのち」という歌も入っています。

どちらの歌も、明るい言霊のひびきがとても素晴らしいと思います。
私はこの歌を、一人でも多くの人に聴いていただきたいと思います。
聴いてみて、誰か聴かせてあげたいと思う人がいらっしゃったら、ダビングし
たり、テープにふきこんででもいいので、この歌を伝えてください。
お願いいたします。

ということで、2曲で6分ほど。伴奏なしのアカペラで歌っている私の歌のCD
を是非聴いてください。

2010年5月末までに、メールにて、住所、氏名をお知らせくださった先着70名の方
に、プレゼントさせていただきます。

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去年の11月から参加している、岡部明美さんの「カウンセラー&セラピスト養
成講座」の中で、色々な出会いと、学びがありました。
そして、自分を自由に表現してゆくことへの恐れを見つめ直したことで、今こ
こを生きている自分を、世界に対して開いてゆこうと思えるようになりました。

私のことを一番よく知っている私が、私を愛し、その素晴らしさを認めてあげ
ないと、こんなに頑張って生きてきた私のいのちに、申し訳ないと思いました。

そして、思い切ってプロの方に、歌の録音とCDの制作を頼みました。
それから、私の歌を、楽譜にしてもらうことも頼みました。
先日、見本のCDができてきたので、どきどきしながら聴きました。
聴いていると、なんだか心がやわらぎ広がっていくような感じがしました。

実はまだ、私が色鉛筆で描いたジャケットの印刷ができていないので、出来上
がり発送はもう少し先になります。


NO.10 2010.12.1 <ホームページをつくりました>

私は2001年4月から2003年5月まで、ホームページをつくっていましたが、その
後タイに5年住み、帰国して2年の間は、お休みしていました。

今回、久しぶりに、声の出るホームページをつくりました。

以前も、ホームページで、自作の歌を歌っていましたが、一度も歌っていない
歌もあります。
そんな私の歌を、色々な人に、聴いてほしいなと、思うようになりました。

それと、今ここを生きている私が感じることを、自由に語ってみようかなとも。

それで、とりあえず、スタートしました。

先回の時は、近所の高校生に手伝ってもらって助かりました。
そして今回は、家の近くの電気店のKさんが、助けてくださって、無事に作成
することができました。(Kさんありがとうございます。)

とは言うものの、夏風邪をひいて、なかなか思ったようにはいきません。
(その辺のことは、ホームページにて。)

ということで、よろしければ、狸の家に遊びにきてくださいね。


NO.11 2010.12.10 <「死への恐れ」について >


この秋、とても親しくしている友達が、31才の娘さんを、病気で亡くされました。
その時、私の心には大切な人を失うことへの恐怖が湧いてきて、うろたえて何も
言えず、寂しい気持ちになりました。

でもその後、その友達に会った時に、彼女が語ってくれた言葉に励まされ、勇気
がわいてきたのです。

その友達は、祈りの人です。娘さんが病気になり余命を知らされた時は、なんと
かして、命を助けたいと出来る限りのことをし、祈り続けたそうです。
娘さんに寄り添って祈り続けていて、夜が明けたこともあるそうです。

そして、祈っているうちに、心境が変わってきたそうです。
「すべてを天におまかせしよう。すべてのことは意味があって起きているのだ。」
「すべてに感謝しよう」と。そして、少しずつ明るい心になっていったそうです。

私も、「人間は肉体だけの存在ではない。何回も輪廻転生を繰り返し、今生での
課題を果たせば、肉体の衣をぬいで、別の世界に行くだけなのだ。」と、頭では
理解していました。
でも、一緒に暮らしている家族がいなくなるという状況は、耐えがたい悲しみで
あり、辛すぎて生きてゆけなくなるのではと、恐れていました。

そんな私に、友達が語ってくれました。

大丈夫だよ。その時になれば、目には見えなくても、私達を支えてくれる存在が
居て、ちゃんと乗り越えられるよ。
娘の最期も素晴らしかったよ。心の中は感謝だけになっていた。病院の先生や、
看護婦さん、自分の周りのすべての人に感謝していたよ。
だから、病気は辛くても、心は明るかったよ。死への恐れもなかったよ。
私は最期の瞬間を見守っていたけど、娘は祈りの言葉を唱えて、私の手をぎゅっ
と握って、安らかに、旅立っていったよ。

そして、友達は、娘の死を体験したことで、「絶対大丈夫。すべてうまくゆく」
ということが、本当にわかった。と、言いました。

今生のことだけをみると、どうしてこんなことが、と、思うかもしれないけど、
生まれ変わり、死に変わりして成長してゆく存在として人間のことをみると、そ
れがよくわかるよ。
残された私のことにしても、娘の病気と死を通して、大きく育てられ、磨かれ、
より自由で楽になった自分が今ここに居るんだよ。
そして、娘が生きている時よりも、今のほうが、娘が身近に感じられるよ。
娘のことも、若くして死んでかわいそうにと言われるのではなく、今生でやるべ
きこと果たした素晴らしい人生だったね。おめでとう。と言ってもらいたい気持
ちなんだよ。
私の心の中はからっぽで、すっきりしている。
余分な想いは、娘がみんな持って行ってくれたんだよ。

本当に、晴れ晴れとした表情で、そう語ってくれた友達の姿に、私は深く感動し
ました。そして、あちらの世界に逝かれた娘さんも、そんな母の姿をどんなに嬉
しく安心に思うか知れないと感じました。

私は「死」を恐れ、忌み嫌ってきたけれど、死とは別な世界への輝かしい誕生な
のだ。
この肉体だけが自分だと信じ込んできけれど、人間は肉体に限定されるものでは
ないのだ。
そして自分の寿命も、人生に起こってくることも、出会い関わりを持つ人達のこ
とも、すべては、自分で決めてきたことなのだ。

頭では理解できていたそれらのことが、今回、友達の娘さんの死を通して、より
深く身にしみました。
そして、だからこそ、今ここを大切に生ききってゆこうと思いました。

友達の娘さんは、長いこと病気だったので、友達はたくさん祈り、素晴らしい心
境になられたのだと思います。
でも私は、自分が、死と向き合う時、どんな心の状態になるのかわかりません。

だからこそ、「すべては、必要、必然であり、ベストのタイミングで起きている
のだ。すべてよしなのだ。」と、自分に言い聞かせてゆこうと思いました。